糸から織への

華 麗 な 演 出

◇京都・西陣◇ 

京も ん


西陣意匠紋紙工業協同組合   〒 602−京都府京都市上京区五辻通大宮西入五辻町48
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西陣織意匠紋紙工業協同組合
西陣織意匠紋紙工業協同組合

豊 田 宏 一 氏


小 野 晴 次 氏


小 笹 祐 義 氏



本 業 界 至 宝 の 名 工

 第2回   小野 晴次 氏 

激動の日本を、織物を愛し、織物と共に、生き抜いてこられました。
その姿は、私たちの誇りです

 小野 晴次氏は、戦前に京都市立美術工芸学校図案科卒業後、
織物図案家を目指し岩木政造氏に師事されましたが兵役のために志途中のまま
戦後を迎えられました。
 復員後、家業の紋意匠を父春之助氏に師事し、
図案家としてのセンスを生かし和図の技法を修練されました。又、主に丸帯や本袋帯の製作に
精通されており、古典有職文、能衣装等の袋、丸帯、美術工芸品、インテリア、額装等、感性豊かな
織物全般に対する豊富な知識の蓄積を現在も活かして居られます。
中でも酒井抱一原画「光琳歳時記」十二ヶ月の織物額は力作の一つです。
 昭和20年に当組合、西陣意匠紋紙工業協同組合に加入され、
組合役員を歴任し今日も「後継者育成事業」の意匠及び図案の指導に務められております。

昭和60年に伝統工芸士に認定され、
平成元年「京都府伝統産業優秀技術者表彰」を受けられ、
平成15年勲六等瑞宝章の栄に浴されました。

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 小野氏の略歴                 

昭和15年 3月・京都市立美術工芸学校図案科卒業
昭和15年 4月・大阪松坂屋考案部に入社
昭和17年10月・織物図案家 岩木政造氏に師事
昭和19年 1月・現役兵として入隊
昭和20年11月・復員後、家業の紋意匠を父春之助氏に師事
昭和20年11月・西陣意匠紋紙工業協同組合に加入
昭和50年 7月・協同組合西陣紋様同志会に加入
昭和60年・・・・伝統工芸士に認定される
平成元年・・・・・ 京都府伝統産業優秀技術者表彰を受ける
・・・・・・・・・以降、伝統工芸士後継者育成事業の意匠及び図案の指導に務める
受章歴

昭和47年・・・・西陣織工業組合主催の西陣織物大会において、河村織物株式会社より出品の
・・・・・・・・・袋帯にて通商産業大臣賞を受賞並びに紋図優秀賞を受賞

平成15年・・・・・勲六等瑞宝章・叙勲。

意匠紙に向かい、懸命に絵筆を走らす姿は、近寄りがたいものさえうかがえます
小野氏は、取材の中、遠くを見つめながら、図案家としての修行時代を語ってくださいました
激動の日本と共にある、氏の青春は苦労の中にも懐かしさがあるのかもしれません
氏が、語ってくださった日本、そして、語らなかった日本・・・
苦の中にある、とても大切なもの・・・私たちの感動を、皆さまにも感じていただきたく
小野氏に無理を承知でお願いし、ここに手記を載せていただける事になりました
図案家修行時代
 美術工芸学校では、図案科と言ってもあくまでも基本の教育を修得して卒業する訳で、
松坂屋、当時は難波(現在の電々タウン)の近くにあった大阪店の考案部に新入社員として
入店いたしましたが、基本教育を受けるのに各学校から新入社した6人が、
呉服関係商品の知識講習を習得する集中講義を受ける事となり、
これは後で大そう役に立つ事になりました。

 しかし、中国に於いて戦火が拡大の一方で新入社員を含め独身寮に居住する青年は、
全員軍事教練に時間を費やす事が多くなって来ました。希望して居た考案部のオリジナルな
図案の仕事も、社内考案部では外注された柄を修整する方が多く
名目丈の様な考案部の実体が見えた感じがしました。

そんな中でも京都西陣での図案の仕事は未だ新柄の需要が多く、西陣の織屋さんも積極的に
新柄を作って行く傾向で、図案会も盛況でした。

 幸いに美術学校の大先輩で、当時西陣での屈指の織物図案家の岩木政造氏の元に
弟子として入塾する事になりました。
実際の帯地図案商品としての図案を、2人の先輩兄弟子に指導を受けながらの作業でした。
 図案を制作するための紙を粋に張る作業、
 膠を溶く作業、
 地塗等の下準備
などをこなしながら先輩の彩色を正しく見習う毎日でした。基本的なデザインは、
各織屋さんの意向に依り先生が下描をされたのを指示されたように描き、
特に色については厳しく指導を受けました、
その間参考書籍を手当たり次第に観あさって十二分に蓄積されたデザインソースは、
その後どれだけ役立ったか計り知れないものがあります。又その間図案家と織屋さんとのあり方、
図案会のあり方等、西陣の基本デザインがどの様に創り出されるかのノウハウが少しづつ
判ってきたのです。

 こうした私の青春の序曲は、戦争の色が少しづつ濃くなって行く中、
未だアメリカ映画、フランス映画が充分に楽しめた時でした、
併しながら翌年「その時歴史は動いた」のタイトル通り昭和16年12月8日、
日米開戦の大本営発表の真珠湾攻撃を複雑な想いで聞いたものです。
昭和19年1月には現役兵として入隊し、
軍隊では強烈な体験に遭遇する事など知る由もありませんでした。     

・・

私たちのつたない不躾な取材を、快く引き受けてくださいました
小野 晴次氏に、心から御礼申し上げます。

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